新潟県の下越・佐渡エリア(燕市、弥彦村、新潟市、阿賀野市、五泉市、阿賀町、新発田市、聖籠町、胎内市、関川村、村上市、粟島浦村、佐渡市)に伝わる”迷信”や”伝説”など、不思議なことについてを市町村ごとにまとめました。長文ですが、是非最後までご覧ください。
(参考:都市伝説データベース 新潟県の都市伝説)
【燕市】
酒呑童子伝説
その昔、桓武天皇の皇子が流罪となり、この地へ来たとき、従者であった砂子塚の城主石瀬俊綱が子宝に恵まれなかったため、信州戸隠山に祈願したところ、妻が身ごもり男児が生まれ、外道丸と名付けられました。外道丸は大きくなるに従い乱暴者となり、国上寺に稚児として預けられました。その後、外道丸を何より心配していた母が亡くなった事を機に、ひたすら仏道の修行に励むようになりました。外道丸はまれにみる美男子だったため、近隣近郷の娘たちから恋文が山のように届きましたが、開くことなく修行に励んでいました。ところがある日、外道丸から返事の来ないことを悲観した娘が己の命を絶ちました。そのことを知らされた外道丸が、恋文の詰まったつづらを開けると紫色の煙が立ち昇り、外道丸を鬼の顔に変え”酒呑童子”となってしまいました。
工場跡地から聞こえる鍛冶の音
江戸期から続く金属加工の町で、”鍛冶屋の町”として知られている燕市の”旧鍛冶町”周辺には、古い工場の一部が放置され、怪談が発生しています。夜中に”カン、カンと鍛冶の槌音が聞こえる”といいます。廃墟化した工場付近で、”黒い影”や”顔のない作業員”を見たというウワサもあります。
火の精霊と打ち損じの呪い
金属加工・鍛冶の町として知られている燕市の中心地にある”鍛冶神社”には、刃物や火の神を祀る信仰が根づいています。地元では、”火の精霊”や”打ち損じの呪い”にまつわる伝説も語り継がれています…。神社の境内で夜な夜な”火の玉が飛ぶ”目撃談があります。また、刃物を粗末に扱った者に”怪我が絶えず”、”刃の祟り”として恐れられています。さらに、昔、職人が不敬を働き焼死したという話が神社由来で残っています。
【弥彦村】
源泉伝説
昔、ある猟師が朝早くから山中を駆け回りましたが、鳥獣を一匹も捕まえることができませんでした。そろそろ帰ろうかと思っていたところ、目の前に一匹の山鳥が飛び立ちました。猟師はなかなか捕まえることができませんでしたが、諦めることもできませんでした。山鳥の飛び立った方向にどんどんと進むと、やや開けたところに”きれいな池”があるのを発見し、池の中央から”きれいな湯が湧き出ている”のを発見しました。そこにはたくさんの鳥獣が仲良く湯浴みしていました。しばらくそっと眺めていましたが、静かに自分もこの池の中に身を沈めました。すると、ちょうど良い湯加減で、一日の疲れがみるみる取れていくのが分かりました。傷の痛みもどんどん快復していく様子に狂喜しました。すぐさま村人にこの事実を告げると、村人たちはわれもわれもと先を争って入浴し、たちまち湯の評判が広まりました。しばしの間に”弥彦の霊泉”と遠近に名声が響き、大層な賑わいを呈するようになりました。のちに池の傍らの大岩を背に”湯神社”を建立し、深い信仰を捧げ、弥彦霊泉はその後ますます発展しました。
【新潟市】
焼鮒が生き返った
親鸞聖人を見送る宴席で、信徒が料理として出した”焼いた鮒”を聖人が池に放したところ、”生き返り泳ぎだした”との伝承があります。その際、二又になった榎に聖人が袈裟を掛けたところ、”一方の幹には聖人の姿、他方の幹には鮒が浮かび上がっていた”と伝えられています。
枝葉が逆さに生えた
親鸞聖人が鳥屋野の地で布教していたとき、持っていた杖を地面に挿したところ、根付いて枝葉が逆さに生えたという伝承があります。今では”鳥屋野逆ダケの藪”と呼ばれており、ハチクという竹の枝が下向きに屈曲し垂れ下がった状態に変異した、貴重な植物として国の天然記念物に指定されています。
蛇神伝説
江南区北山にある”北山池(北山貯水池)”は、古来より”蛇神”の棲む池として知られ、むやみに近づいたりイタズラをした者には祟りがあるという伝承が残っています。池の石碑を倒した少年が、数日後に高熱を出し、その夜”大蛇が夢に現れた”と語ったんだとか…。雨の夜に池の水面から”長い影が伸びてくるのを見た”という地元住民の証言もあります。毎年、地元ではひっそりと池のほとりに御供え物を捧げる”蛇上鎮め”の習慣が続いています。
首のない不思議な地藏
江南区から五泉市方面に続く旧街道沿いには、首のない地蔵が1つだけ残っており、”夜に通ると誰かに見られている”、”車が急に止まる”といった怪異が囁かれています。地蔵の首を持ち帰った若者が事故に遭い、首を返した翌日には夢に「ありがとう」と地蔵が現れたんだとか…。地元の古老によると、かつて、旅人が首を切られた場所に立てられた”供養地蔵”だったとのことです。今でも周囲にだけ花が絶えない”不思議な地蔵”とされています。
白い服の女
江南区を流れる”阿賀野川”沿いでは、夜になると”白い服の女性が橋の上を歩いている”、”消えるように姿がなくなる”といった目撃談が複数報告されています。2000年代以降、夜のジョギング中に”白い女を見た”という若者の証言が、ネットで拡散されました。また、夏になると”車のバックミラーに映った”という体験談が一部で語られています…。近隣でかつて水難事故があり、その女性の霊が今も橋のあたりをさまよっているという説があります。
神域の忌み地
”鳥屋野潟”周辺には、神社の神域として禁足地の伝承が残っています。神社や聖域の一部として、”無断立入禁止の忌み地”があり、”違反すると祟りがある”とされています…。地元では神聖な場所として畏敬されています。
【阿賀野市】
一つの花に実が八つずつなった梅
親鸞聖人が”梅護寺”の庭に梅干の種を植え、歌を詠みました。すると、翌年芽が出て、枝葉が茂り、薄紅の八重の花が咲き、実が八つずつできるようになったといわれています。
珠数のように垂れ下がって咲いた桜の花
親鸞聖人が越後の国へ流罪され、その間宗教活動のため、梅護寺の付近にこもられました。この土地から他へ向かうとき、手に持っていた数珠を桜に掛けて「私の教えに誤りがなければ、この桜の花は数珠のようになるだろう。」といいました。すると不思議なことに、この桜の花は”紅色で数珠のようになった”と言い伝えられています。
一年に三度も実のなる栗の木
源競の妻の家に宿を取り布教をしていた親鸞聖人が旅立つ日がやって来ました。競の妻は教えを説いてくださった聖人を見送り、道すがら召し上がっていただこうと焼栗を差し上げました。すると聖人は「我が勧むる弥陀の本願、末世に繁昌いたさば、この栗根芽を生じて一年に三度咲き実るべし。葉は一葉にして二葉に分かれて繁茂せよ」と称えて焼栗を植えられました。聖人が去られた後に焼栗は芽吹き、”毎年6月、9月、11月に実を結び、葉の先は二つに分かれて茂る”ようになりました。
迷い霊と修験者伝説
”五頭連峰”の主峰・五頭山は、古くから修験道と山岳信仰の霊山であり、”迷い霊に導かれる”といった怪異伝承が残っています。登山道を歩いていると、前を歩く”白装束の人影”が見えますが、追いかけるといつの間にか姿が消えるんだとか…。霧の日に山中で”読経の声”が聞こえると、その後で必ず道を間違うという言い伝えがあり、昔修験者の一団が山中で消息を絶ったという記録もあります。
女将の訪問
”出湯温泉街”では、夜中に”誰も予約していない客室に現れる女将がいる”という怪談が語られています。夜遅く到着した宿泊客が、無人の部屋に女将らしき人物が入って来て「お湯は熱いから気をつけて」とだけ言って去って行ったんだとか。実際にはその日、その旅館の女将は不在だったそう…。古くからの宿の記録に、”宿で倒れたまま発見された昔の女将”の記述があるんだとか。
火の玉伝説
”安田地域”では、夜間に”白蛇が火の玉となって飛び回る”という奇妙な現象が江戸期より語られています。旧家の庭に白蛇が住みつくと、家運が上がるとされていましたが、夜にその白蛇が青白い火の玉になって飛び出していく様子を何度も見たという証言が残っています…。火の玉が現れた年には、”地域に凶作や不幸が多発した”とされ、のちに”蛇神の怒り”と呼ばれ恐れられるようになりました。
石段に腰かけている男
”旧水原代官所跡”付近の石段では、夜中に”誰かが腰かけている”という不気味なウワサが流れています。夜道を通ると、”石段に人影が見え、近づくとスッと消える”んだとか…。その影は黒い裃姿のようで、代官に仕えていた役人ではないかと地元の語り部は言います。死後も”見回りを続けている”のではないかという説もあります。
【五泉市】
雷城の菊姫伝説
早出川を挟んで永谷寺に雷城(雷山)、反対側に福連寺城(福連寺山)があり、2つの城は川の幸、山の幸などのとりあいで、いつもいがみあっていました。そんなある日、戦いに敗れた雷城の城主は、姫に財宝の場所を教え城に火をつけました。菊姫はふもとの永谷寺に身をかくしました。しかし、しばらくすると福連寺方の山伏たちに突き止められ、永谷寺をぬけ出た菊姫は、早出川沿いに山道を逃げ、山が川までせまっている難所である東光院に辿り着きましたが、もうこれまでと姫は身をひるがえし東光院の淵に飲み込まれました。その後竜神となって、東光院の主になったといいます。永谷寺の大潮浮船和尚の功徳によって成仏し、それ以後歴代住職が亡くなる7日前に丸い石(オボト石)を届けるという伝説があります。
【阿賀町】
狐火伝説
古くから”狐火”に関する伝説が語り継がれています。かつて”麒麟山”には狐が住んでいて毎晩のように狐の声が聞こえたり、狐火が多く見られていたのだそう…。
【新発田市】
首なしの甲冑姿が歩いている
”新発田城”の一部には、夜になると”首のない甲冑姿の影が歩いている”というウワサが語り継がれています。夜間に城跡の土塀沿いで”足音がする”、鉄のような甲高い音と共に”スッと影が通り過ぎる”という証言が複数あります…。明治期に廃藩置県後、軍の施設として使われた際に、古井戸から”鎧兜と白骨が発見された”という話が地元に残っています。
家まで何かがついてくる
全国的にも有名な”月岡温泉”には、一部の宿で”泊まると何かがついてくる”とウワサされている場所があります。旅館に宿泊後、自宅に戻った後も”ラップ音や誰かの気配が続く”という口コミがいくつかネット上に存在しています。鏡に”女の影が映った”、窓の外に”人影が立っていた”という体験談もあります。
誰かからの手招き
”藤塚浜”では、地元の漁師や住民の間で”海に呼ばれる”という表現が使われています。かつて水難事故も多く、”何かに引かれた”と語られることもあります。夜の海岸で、誰もいないはずの波打ち際から”手招きが見える”という話や、満月の晩に”ふと海に近づきたくなる衝動にかられる”という証言があります。
【聖籠町】
緑丸伝説
昔、百合若という若者が、戦の途中嵐に遭い、島に流れ着き、その島で出会った賢い鷹を”緑丸”と名付けて可愛がりました。百合若は「都に帰りたい、迎えに来て欲しい」という手紙を緑丸に持たせ、故郷に飛ばしました。緑丸は見事手紙を届けて帰ってきましたが、疲れ果てて死んでしまいました。緑丸のおかげで、百合若は都に帰ることができました。その後、えらいお坊さんが緑丸のためにお堂を建てて籠ったそうです。いつしか、そこは聖者が籠る山”聖籠山”と呼ばれるようになり、地名の由来ともなりました。
【胎内市】
猿供養の伝説
ある時から”乙宝寺”に2匹の猿が来て、木の上で1日中経を聞くようになりました。数ヶ月して、僧は不思議に思って猿に誦経するかと尋ねると、猿は首を横に振りました。さらに写経するかと尋ねると、今度は猿が笑みを浮かべて手を合わせたので、写経してやろうと言うと涙を流して木を下りて行きました。数日後、多くの猿が木の皮を持ってきたため、僧はこれで紙をすいて写経をして欲しいと悟り、早速紙をすいて写経を始めました。2匹の猿は毎日欠かさず現れ、山で採れる木の実などを置いて帰りました。しかし法華経第五巻まで写経した時、ふっつりと猿は来なくなりました。気になった僧は山へ行き、そこで猿が2匹とも死んでいるのを見つけました。そして猿の遺骸を葬り、書きかけの法華経を仏像の前の柱の中に納めました…。それから40年もの歳月が流れ、突然、新しく越後の国司となった紀躬高が夫婦で来訪し、「この寺にまだ書き終えていない法華経はないか」と尋ねました。かつて猿に法華経を写経してやった僧がまだ生きており、そのことを告げると、国司は「私たちは、その時の猿の生まれ変わりです。あなたの誦経によって発心し、その勧めで写経を志したのです。どうかその法華経を最後まで写経していただきたい。私たちはその願いを叶えるために生まれ変わり、この国の国司に任ぜられたのです。」といいました。それを聞いて僧は感激し、経を取り出して写経を完成させ、国司もまた法華経を写経して寺に納めたといいます。
血の池伝説
昔は赤ん坊が亡くなることが多かったが、”乙宝寺”では、子供の遺体を池の真ん中まで船を浮かべて葬ったとされています。そして10本の髪の毛だけを切り取って墓に納めると、葬った翌日から3日間だけ池の水が赤く染まったといいます…。
【関川村】
軍勢の足音や声が聞こえる
”鷹の巣山”は、戦国期に上杉軍と越後国人勢との合戦があったとされる場所で、現在も”軍勢の足音”や”鬨の声”が山中に響くというウワサがあります。秋の霧が出る夜、登山道の途中で”どよめく声”や”鎧の音”が聞こえるという証言があります。また、地元の登山者の間では、”日没前には登ってはいけない”という暗黙のルールも存在しています。山の中腹には、合戦で亡くなった兵の慰霊碑がひっそりと建てられています。
狐の嫁入りと狐火
”湯沢温泉”一帯では、かつての”狐の嫁入り”や”狐火”の伝承が語られており、今でも夜に”明かりがふわふわと山に浮かぶのを見た”という目撃談が存在しています…。宿に泊まった夜、誰もいない廊下で”白い狐が通り過ぎた”と語る宿泊客の証言があります。地元の古老の話では、「昔この辺りは”狐の宿”と呼ばれ、イタズラや神隠しもあった」とされています。初夏の雨上がりに、山に”灯りの列が浮かぶと、狐の嫁入りだ”と言い伝えられています。
【村上市】
無念の家老伝説
”村上城”は、戦国時代から江戸初期にかけて北国の要所として栄えた山城です。現在は石垣が残るのみですが、夜になると城跡周辺で異変が報告されています。廃城跡にて”甲冑姿の武士”が立ち尽くしていたという目撃談があります。特に、かつて失脚した家老の怨霊が出るというウワサがあり、”侍が後ろを歩いていた”などの体験談があります。
異形の川の主
鮭の遡上で有名な”三面川”には、”水神”のような異形の存在がいるという伝承が残っています。古くから”川には主がいる”とされ、大雨の日に現れるんだとか…。橋の上から見ていた釣り人が、”巨大な黒い影が鮭を丸呑みして消えた”という体験をしたといいます。
見てはいけない消える老婆
”岩船海岸”では、”見てはいけない老婆が出る”というウワサがあります。夕暮れ時に一人で訪れると、”老婆がこちらを見つめてくる”んだとか…。近づこうとすると忽然と消えるといいます。海難事故の慰霊碑近くで、子供が”おばあちゃんが呼んでる”といった逸話もあります。
【粟島浦村】
逆さに埋められた地蔵
粟島の一角に”逆さに埋められた地蔵がある”というウワサがあり、それを動かすと”島全体に嵐が訪れる”と言い伝えられています。海難事故のあと、「地蔵の位置が少し変わっていた」と地元の漁師が話したことがあるんだとか…。古くは、イタズラを鎮めるために”逆さにして地蔵を埋める風習があった”ともいわれています。島の子供たちは”近づくと目が見える”とウワサし、恐れて近寄らないそうです。
【佐渡市】
封印された坑道
江戸時代から稼働した”佐渡金山”は、無数の坑道を有していますが、その一部には”封印された坑道”が存在するといわれています。かつて落盤事故や何かを見たと語った作業員が次々と”精神に異常をきたし”、坑道ごと封印されたんだとか…。閉ざされた坑口からは、夜中に”カン、カン…という音が聞こえる”との報告もあります。
時間が止まる異界ゲート
佐渡南西部にある”小木海岸沿い”のある入り江は、”佐渡の異界ゲート”とも呼ばれることがあり、昔から”時間が止まるような感覚”を訴えるものが絶えません…。ある一定の条件下(大潮の日没時など)にこの入り江に入ると、”向こう側に連れて行かれる”といわれています。また、戻ってきた者は”全く知らない島にいた”、”誰にも出会えなかった”などと証言しています。
神隠し
大佐渡山地の中腹に位置する集落周辺では、古くから”神隠し”の話が残されています。明治期に子供が山中で行方不明となり、数日後に別の集落で発見されたが、本人の記憶は全くありませんでした…。その後も登山中に”人に呼ばれる声がする”、”見知らぬ地蔵を見た”という証言が相次いでいます。
神降ろしの館
佐渡の中心部にある”真野地区”には、かつて”神降ろしを行う家系が存在した”といわれています。この儀式に使った人形を粗末に扱った者が、”次々と不幸に見舞われた”ともいわれています。その家は今では空き地ですが、夜になると”何かが屋根裏に現れる”とウワサされています。地元住民は”近寄らない方がいい家”として語り継いでいます。
終わりに
こちらの特集記事では、新潟県の下越・佐渡エリアに伝わる”迷信”や”伝説”など、不思議なことについてをご紹介しました。地元の方にしか分からない言い伝えも、まだまだあるのだと思います。信じられないような内容のものが多いですが、そのリアルさや恐怖感は、きっと体験した方にしか分からないことでしょう。興味本位で不敬な態度を取ったり、むやみやたらに夜中に徘徊するなどは絶対におやめください。

☆☆☆最後までご覧いただきありがとうございました☆☆☆

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